イタリアのアジア人差別|ヴェネツィア編~実体験をフィルターなしで解説
- スーパーエイジ

- 9月10日
- 読了時間: 14分

🟦 はじめに
こんにちは。パリに27年暮らしている僕、エイジです。
夏になるとローマで1ヶ月以上を過ごすのが長年の習慣となっており、ヴェネツィアにも週末旅行でたびたび訪れています。
計15回以上。
イタリア語は中級レベル。
旅先のバールやカフェでは、地元の方とも自然にやり取りできる程度の語学力です。
そんな僕が、実際に観光都市ヴェネツィアで体験したイタリアのアジア人差別について、今回は正直に記録したいと思います。
🎯 この記事でお伝えしたいこと
ヴェネツィアで起こりうる差別の具体的なパターン
自分の体験を通して感じたモヤモヤの正体
差別を受けたときの心の切り替え方
差別をする人=イタリア人全体ではないという視点
ローマとヴェネツィアでは、差別の“かたち”も“背景”もやや異なるように感じます。
観光地ゆえの無関心さ、あるいは接客業に従事する移民との関係なども影響しているのかもしれません。
これからイタリアを旅行される方にとって、差別という「思いがけないトゲ」に対する心の準備になればと思います。

🗂 目次|Contents
差別とは「犬のフン」のようなもの
サービス制限系アジア人差別(頼んだものが来ない)
ぼったくり系アジア人差別(チップや上乗せ請求)
ネチネチ系アジア人差別(地震・文化を茶化す)
差別してくるのは“ヴェネツィア人”とは限らない?
最後に:旅と差別のあいだで感じたこと
第1章|差別とは「犬のフン」のようなもの
「差別って、道ばたに落ちている“犬のフン”のようなものなんです。」
これは、僕がこれまでに経験してきた差別を人に説明するとき、よく使う比喩です。
何も考えずに歩いていると、うっかり踏んでしまう。

でも、踏んだ後は、草や水たまりで靴を拭いたり、どうにかして汚れを落とそうとしますよね。
その間、気分は最悪ですし、時間も無駄になります。
けれど――いつまでもその場に立ち止まっていても、旅は進まない。
差別に出会ったときも、それと似たような気持ちの切り替えが必要なのだと思います。
第2章|イタリアのアジア人差別が接客に現れる瞬間:サービスの「差」
「イタリアのアジア人差別」は、露骨な言葉や暴力だけではありません。
もっと静かに、そしてさりげなく――たとえばカフェの接客態度の中にひそんでいることもあります。
ここでは、ヴェネツィアで実際に僕が体験した「サービス制限系アジア人差別」について、いくつかご紹介します。
なお、この記事はヴェネツィアのアジア人差別についてですがローマのアジア人差別についても記事をだしました。
そして、Youtube動画でもみれます!
注文したのに自分だけ遅れる|ヴェネツィアのバールでの経験
ある夏、フランス人の友人とヴェネツィアのバールに入り、イタリア語で「スプリッツ・カンパリをください」と注文しました。
すると、友人のドリンクはすぐに出てきたのに、僕の分だけがなかなか来ない。
5分、10分と待ち、再度確認すると、ウェイターは無表情にこう返してきました。
「あ、忘れてた。」
ようやく別の女性スタッフが持ってきてくれましたが、無言・無表情のまま、グラスを“ゴンッ”とテーブルに置いて去っていきました。

無料のおつまみが「出る席」と「出ない席」
さらにある年、日本人の友人と別のバールを訪れたときのこと。
ヨーロッパ系のお客さんたちには、当然のようにチップスなどの無料のおつまみが出されていたのに、僕たちの席には一切出てきませんでした。
これが一度きりなら偶然とも思えますが、似たようなことが何度も続くと、違和感が確信に変わっていきます。
接客態度の“温度差”が明確すぎる
イタリア人のお客さんには:
「チャオ〜!」「エッコメ!(お待たせ〜!)」
と笑顔で声をかけ、身振り手振りを交えて親しげに応対。
ところが、自分には無言・無表情・目も合わせない。まるで「いるのに、いないかのような扱い」。
言葉ではなく、態度そのものが差別を語っていたと感じました。
ローマとの違いを感じた理由
同じイタリアでも、こうした違いを感じたことはローマではほとんどありません。
たしかにローマの人も無愛想なことはありますが、彼らは“ぶっきらぼうでも仕事はきっちりやる”というタイプ。
「態度は素っ気ないが、対応は的確」という印象です。
一方、ヴェネツィアでは、
「見た目によってサービスの質が変わる」
という印象を何度も受けました。

それでも「イタリア人は差別的」と決めつけないために
僕が経験したこれらの出来事は、あくまで一部の接客スタッフによるものであり、イタリア人全体の傾向ではありません。
ただ、観光都市ヴェネツィアでは、スタッフの多くが他地域からの通勤者や移民系であることも事実。
そうした文化的・言語的距離感が、接客態度の差として表れることもあるのかもしれません。
「差別」は声ではなく、沈黙の中にあることもある
イタリアのアジア人差別は、「チネーゼ!(イタリア語で中国人の意味)」と叫ばれるようなものだけではありません。
静かな差、目に見えない違和感、扱いの温度差――
差別は時に、言葉ではなく“態度”の中に現れるものです。
🟥 第3章|ぼったくり系アジア人差別:サービス料込みでもチップを強要される問題

観光地として有名なヴェネツィアでは、「イタリアのアジア人差別」の一環として、不当な請求や態度の差といった“ぼったくり”に近い体験をすることがあります。
今回は僕がリアルト橋付近で実際に体験した、サービス料込みにも関わらずチップを強く求められた出来事についてご紹介します。
サービス料が含まれているのに「チップも」と迫られる
ある日、リアルト橋の近くにあるレストランに入りました。
対応してくれたウェイターは、最初から明らかに不機嫌な様子。
注文時から終始、笑顔ひとつ見せず、投げやりな態度でした。
食事を終えて会計をお願いすると──伝票にはすでにサービス料が含まれているにもかかわらず、チップを強く求めてきたのです。
僕が「サービス料は含まれてますよね?」と確認すると、
「生活が大変なんです」「頼むよ、チップを……」
と、まるで当然のように求められました。
「気持ちはわかる」けれど、納得できなかった
観光業に従事する人々が大変なのは、よく理解しています。
生活の厳しさも、きっと本当なのでしょう。
ましてや僕も15年くらい販売員の経験もありますので尚更。
でも──接客態度が横柄で、礼儀もなく、明らかに差を感じる対応をされたあとに、「チップだけはきちんと払ってください」という要求を受けるのは、やはり納得できませんでした。
僕は丁寧に、しかしはっきりとチップを断りました。
カフェでの「不自然なサービス料」請求も
実は2025年の夏にも、同じような経験をしました。
喉が渇いて入ったカフェで、オレンジジュース1杯を頼んだところ、**通常では発生しないはずの“サービス料”**を上乗せされていたのです。
場所はリアルト橋とサン・マルコ広場の中間地点。まさに“観光の中心”とも言えるエリアでした。
言い返したら「警察を呼ぶ」と脅される
僕はその場でイタリア語でこう伝えました。
「こんな話、聞いたことがありません。これは違法です。」
するとスタッフの表情が変わり、
「警察を呼びますよ。よろしければ。」
と冷たく言い放ちました。
もちろん、実際に電話をかけることはありませんでした。
その後は「わかった(正規の値段でいい)現金かカードか?」と聞かれる始末。
暗黙の了解で”現金なら正規料金でいい”という風に言われました。
でも僕はカードで“正規の金額だけ”を支払いました。
レシートの回収要求──「上の指示だから」
店を出ようとしたとき、スタッフの1人が追いかけてきて、
「そのレシートを返してください。これは“上の人”の指示です。」
と言われました。
僕はそのとき、「ああ、この人もまた“やらされている側”なのか」と思い、レシートを返して店を後にしました。
そして、そのウェイターが気の毒にさえ思えました。
🧭 ヴェネツィア中心部では「ぼったくり差別」に注意を
このように、観光客が集中するエリアでは、アジア人であるがゆえに「説明のない追加料金」を請求されるケースがあります。
しかも、こうしたスタッフの多くは、地元ヴェネツィア人ではない可能性も高いのです(この点は第5章で詳しく触れます)。
安心して過ごすためには:
会計前にレシートを確認する
サービス料の有無を伝票でチェックする
理不尽な要求には、冷静にNoと言う
といった「軽い警戒心」を持っておくことが、旅の満足度を守るためにも大切だと実感しています。
🟨 第4章|ネチネチ系アジア人差別:わざと「地震」の話をしてくる問題

ヴェネツィアのアジア人差別には、見た目にはわかりづらい、言葉による“じわじわ型”の差別もあります。
ここでは、ヴェネツィアのカフェで体験した「わざと日本の地震の話を持ち出してくる」という嫌がらせについて紹介します。
「日本って地震ばかりよね」──その“笑い方”に悪意を感じた
ある日、ヴェネツィアのカステッロ地区にある小さなカフェでの出来事です。
会計時、僕は「カードでお願いします」と伝えました。
すると、店内の女性スタッフが対応しながら、いきなりこんな話を振ってきたのです。
「あなた、日本から来たの?カムチャッカ半島でまた地震があったわよね」
この時点で僕はすぐに、“違和感”を覚えました。
その口調が、どこか笑っているようで、明らかに小馬鹿にするトーンだったのです。
隣にいた男性が止めに入った
すると、すぐ近くにいた男性(おそらく彼女の同僚か夫)が、静かにこう言いました。

「やめろ。そんな話、するもんじゃない。」
このひと言があったことで、彼女もそれ以上は何も言いませんでした。
つまり、「その話題が不適切である」と理解していた上で話したことが明らかだったのです。
ネチネチ系差別の特徴は「表に出にくい」
こうした差別は、「チップを要求される」「サービスが遅い」といった“見える差別”とは違って、言葉の端々に込められた悪意が中心です。
たとえば以下のような話題は、アジア人に対して嫌がらせ目的でよく使われます:
「日本ってクジラを食べるんでしょ?」
「韓国って犬を食べるよね?」
「中国人ってうるさいよね」「マフィアなの?」
これらは、本人が笑って冗談めかして言えば差別にならないと思っているところが、さらに厄介です。
なぜこういう差別が生まれるのか?
僕自身の実感として、こうしたネチネチ型の差別は、次のような心理から生まれているように感じます。
▸ 「嫉妬」と「劣等感」の裏返し
清潔感がある
幸せそうに見える
礼儀正しく、柔らかい雰囲気
そうしたアジア人旅行者の姿が、「なんとなく妬ましい」と感じる人も一定数います。
そして、**「この人は怒らなさそう」「反撃してこなさそう」**という相手を見極め、「今、ちょっと言ってみても大丈夫だろう」と思って、嫌味や冷笑を投げかけてくる。
これは差別というより、いじめのメカニズムに近いのかもしれません。
差別への対処法:怒らず、でも見過ごさない

20代や30代の頃であれば、僕もすぐに言い返していたかもしれません。
でも最近は、「怒ると疲れる」ということを強く実感しています。
⚠️ 怒りは、言葉を研ぎ澄ませる代わりに、エネルギーを消耗します。
僕がよく取る方法は:
その場では受け流して、あとで冷静に口コミを書く
Googleマップに、英語と日本語で体験を共有する
実名や侮辱語は避け、感情的にならずに淡々と書く
同じ思いをした旅行者の参考になるように心がける
「地震」や「災害」をネタにすることの非道さ
人が亡くなったり、苦しんだりしている出来事を、茶化したりからかったりするのは、単なる無知ではなく、悪意のある差別です。
アジア人観光客の多くが「お金を落とす存在」として見られている中で、こうした“態度”や“言葉”の差に直面すると、旅の楽しさが一気に色あせてしまうのです。
🔚 水虫のように、じわじわと染みつく差別
もし“チップ強要”や“露骨な無視”が「犬のフン」だとすれば、この“ネチネチ系差別”は「水虫」のようなものだと思っています。
じわじわとしみ込んで、知らないうちに心に痒みや傷を残してしまう。しかも治りにくく、繰り返す──。
そんなふうに、静かに、でも確実に心を蝕んでくる種類の差別です。
🟩 第5章|あなたを差別する人は、ヴェネツィア人じゃないかもしれない?
イタリアのアジア人差別というテーマに向き合う中で、僕は何度も「この人、本当にヴェネツィア出身なのだろうか?」と感じることがありました。
ヴェネツィア人の人口はすでに半減している
かつて12万人ほどいたヴェネツィア本島の住民も、現在では5万人前後にまで減少しています。
この背景には、以下のような事情があります:
家賃の高騰と住宅不足(観光客用アパートに転用されたため)
生活インフラの老朽化(スーパーマーケットや学校が閉鎖)
オーバーツーリズムによるストレスと疲弊
その結果、地元の人が暮らしにくくなり、島を離れていったのです。
ヴェネツィアで働く人の多くは“地元民”ではない
現在、ヴェネツィアのカフェやレストランで働くスタッフの多くは、メストレやリドなど周辺地域から通っている人々や、移民系の労働者たちです。
彼らが日々接客している観光客は、言語も文化もさまざま。
そのストレスや偏見が、ふとした瞬間に差別的な態度となって表れることもあるのかもしれません。
「ヴェネツィア人」は観光客に冷ややか?
では、いわゆる“本物のヴェネツィア人”とはどんな人たちなのか?
僕の印象では、観光客に対してやや距離をとる傾向があります。
たとえば、以前ヴェネツィアの路上でよく見かけたのが、この落書き:
「Tourists go home(観光客は帰れ)」
もちろん、すべての地元民がそう思っているわけではありません。
しかし、年がら年中、世界中の観光客が押し寄せる日常の中で、「一定の距離感を保つ」ことが、彼らなりの自衛手段になっているのです。
ヴェネツィア人の“閉鎖性”は歴史に根ざしている
ヴェネツィアはもともと、「海に囲まれた島国のような都市」。
かつて蛮族の侵略から逃れるために人々が集まり、独立国家として栄え、ナポレオンやオーストリア支配なども経験してきました。
そうした歴史的背景から、慎重で排他的な一面を持っていても不思議ではありません。
観光客に対する“視線”は均等
興味深いのは、ヴェネツィア本島の住民たちが、アジア人だけでなく、ヨーロッパ人観光客に対しても同じような態度を取っていることです。
僕は過去にAirbnbで長期滞在した際、近所の人とすれ違っても、ほとんど目を合わせてもらえない経験をしました。
それは同伴のフランス人も同じでした。
なので、僕がアジア人だからではなく、「観光客だから」というだけの理由かもしれません。
🧭 差別を生むのは「個人」、その背景にあるのは「環境」
僕が感じてきたアジア人差別の多くは、**特定の人間の“心の余裕のなさ”や“未熟さ”**からくるものでした。
特に移民系スタッフの場合──
労働条件が悪い
言葉が通じない客に疲弊している
店の上司からのプレッシャーが強い
こうした背景の中で、接客に感情がにじみ出ることは避けられないのかもしれません。
🟨 中国人スタッフの方が親切だった印象も
ヴェネツィアでは、中国人経営の雑貨店や小売店に立ち寄ることがあります。
そこで感じるのは、必要以上に愛想を振りまかず、でも、淡々と誠実に対応してくれる接客。
過剰な演出もなく、でも冷たくもない──むしろ、そうした**“距離感のある礼儀正しさ”**に信頼感を覚えたこともありました。
それでも、僕はイタリア人と話したい
それでも僕は、イタリア語で会話をし、イタリア人と関わる旅を続けたいと思っています。
多少無愛想でも、少し気難しくても、その国の空気を肌で感じられるような出会いこそが、旅の醍醐味だと思うからです。
🟦 最後に|旅と差別のあいだで感じたこと
「イタリアのアジア人差別」について、ヴェネツィアでの実体験をもとに書いてきました。
旅先で差別に遭遇するというのは、決して楽しい経験ではありません。
時には心が沈んだり、自信を失ったりすることもあります。
でも僕は思います。それでも旅は、やっぱり素晴らしい。
差別に遭うかどうかは「運」でもあり「環境」でもある
同じ街、同じ店でも、その日その時のシフト担当者によって対応が違ったりします。
あるいは、自分の言葉のトーンや表情が、相手にどう伝わったかという影響もあるかもしれません。
だから、「絶対こうだ」と決めつけることはできないし、「イタリア人は差別的だ」と一括りにするのは、やはり違うと思っています。
差別への“鈍感力”も、時には必要かもしれない
もちろん、ひどい差別や暴力に対しては声を上げるべきですが、日常的な無視や軽い皮肉のようなものに、すべて反応していては心が持ちません。
旅人として、**ある程度の「スルー力」や「気にしない技術」**も必要なのかもしれません。
むしろ、「これも文化の違いか」と受け流せたら、心はずっと軽く、旅の楽しさを失わずに済むのではないかと思います。
差別を記録することは、“旅人へのギフト”になる
今回の記事や動画も、最初は正直なところ「こんなこと書いていいのかな」と迷いもありました。
でも、「自分が感じたことは、自分しか書けない」と思ったんです。
旅行前にこういう情報を知っておけば、対処しやすくなる人もいるかもしれない
モヤモヤを抱えたまま帰国する旅行者の心が、少しでも軽くなったら嬉しい
海外に暮らす他のアジア人と、共通の感覚を共有できたら心強い
そんな思いから、この記事を書きました。
これからも、旅の“本音”を発信していきます
僕は今後も、パリを拠点にしながら、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、メキシコ、インドなど──いろんな場所を旅しながら、観光ガイドには載らないリアルな体験をお届けしていきます。
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